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中部大学 武田邦彦教授 6月17日執筆分より引用
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「メタボリック症候群」とは何語か?

2年ほど前、突如として厚生労働省の官僚がテレビで記者会見を行い、「メタボリック症候群を退治しなければならない」と宣言した。それ以来、この用語は日本社会では常識の一つとなった。

 メタボリック症候群というのは単に「肥満」というのではなく、腹部に脂肪がたまったことによっておこる症候群だそうで、病名なのか、それとも病気の原因となるかも知れない体型のことを言っているのか、まだ定かではない

 ところで、この言葉は何語だろうか? おそらく(辞書を引けば書いてあるが)前半の「メタボリック」というのは英語だろう。そして後半の「症候群」というのは日本語のように見える。英語ではシンドロームという。

 でも、アメリカではメタボリックというのは専門用語としては使われていると思うが、一般的には「ダイエット」である。今でもそうかなと思って数人の知人に聞いてみたら、やはり「ダイエット」という言葉を使うという。

 すでに日本の場合も「ダイエット」という用語は普及していて、総じて「あまり太りすぎないように健康に注意しよう」という意味で使われている。「ダイエット中ですからあまり食べないようにしています」というと周囲も納得する。

 それなのに、なぜ新しく「メタボリック」という名前を使い始めたのだろうか?


メタボリックシンドローム(metabolic syndrome) とは、「代謝症候群」と言われるもので、高血糖・高血圧・高脂血症などの代謝に関わる異常が引き起こす様々な病気を表すといっても良いようです。しかし、こんな呼び方は少し前まではしていなかったのは確かですね。ここにあげた病名は、肥満によってもたらされやすい成人病の種類という認識はありますが、わざわざメタボリックなどという言葉を、「流行語大賞」でも狙うがごとく使い出すのもなんだかおかしな感じがしなくはないですね。

 環境関係を研究してきた私にとって官僚が怪しげな英語を使うときには「天下りを作ろうとしている」と時だ。その一つの例が「サーマル・リサイクル」である。

 「サーマル・リサイクル」という名前はもちろん和製英語で、本当は焼却であり、焼却するときにエネルギーを回収した場合は「エネルギー・リカバリー」という。

でも、それでは「リサイクル協会」を作ることができない。そこで「サーマル・リサイクル」という用語を作り「リサイクル法」の一つの方法に入れる。反論があると「法律で焼却はリサイクルに入っています」と涼しい顔で答える。

ものすごい考え方で、とても頭が正常な人とは思えない。

「ゴミを焼却してはいけない。リサイクルしよう。そしてリサイクルの途中で焼却するときにはサーマル・リサイクルと呼ぼう」というのだから並大抵の神経ではない。


ゴミを燃やして熱で回収することは、物資を消滅させる方法でしかないために、欧米ではリサイクルという概念には含まないというのが一般的だそうです。


サーマル・リサイクル(日本)、エネルギー・リカバリー(ドイツ)、リカバリー(フランス)

この場合のゴミの焼却は化石燃料の代わりとしての意味を持ちますが、ドイツでは法律により、廃棄物の焼却によるエネルギー回収率が75%以上の場合に限り、廃棄物の焼却が認められているそうです。

ゴミを燃やしてエネルギーとするのにも規制があるし、それができたとしても「リサイクル」とはいわない。という厳格さが存在しているということでしょうか。
財団法人 日本容器包装リサイクル協会のホームページには容器包装リサイクルについて、日本、ドイツ、フランスを比較したものが書かれています。

http://www.jcpra.or.jp/law/what/what04.html

ドイツはリサイクルに関してはとても厳しい国のようです。日本のようにペットボトルではなく、繰り返し使うことができるビン容器が多く使われています。そのビンには預かり保証金がかかるために、空き瓶を返却することによって保証金を戻してもらうというスタイルが定着しているということです。


 「ダイエット」は定着している。すでに定着していることでは、新しい規制も作れないし、天下り団体も作れない。また、ダイエットをするかどうかは個人の思想信条の問題であり、「食べたいのに食べてはいけない」などいう規制は憲法の保証する自由に抵触するだろう。


 だから、単に「太ってはいけない」という規制はできない。このような複雑なことを考えるのが最近の優れた官僚というものである。「メタボリック規制」というのは「太ってはいけない」という規制とほとんど同じであるが、特定の症候群を相手にしているので規制が可能となる。

 でも、腹部の脂肪というけれど、測定方法は筋肉だろうが、脂肪だろうが、おなかの周りの寸法を測るだけである。それがある基準値を超えたら補助金を出さないとかあらゆる嫌がらせをする。

わざわざメタボリック健診などしなくても、企業ならば定期健診をするように決められているし、国民健康保険の加入者で、40歳以上であれば、老人保健法による基本健康診査を受けることができるようになっています。

 何のための規制か?と訪ねると、「国民の健康を守る」という。そうかと思って減量に励み、晴れて長生きをして75歳に達すると「後期高齢者」ということで、できるだけ早く死んでくれという。

国は国民の健康を守るといいながらも、実際には受診を抑制してしまわねばならないような政策をとっているという現実があります。それに、メタボ健診で引っかかってしまい、病院に通院しなければならないという人も出てくるでしょう。高血圧、高脂血症、高血糖で病名がついてしまえば、投薬治療を受ける必要がなくても、特別な出費を覚悟しなければならない場合もあります。それは結果的には私たち国民の負担が増加することにもなるのです。メタボであらたな患者を作り出し、喜ぶのはいったいどんな人たちなのでしょうか。

健康になってもらうことを考えてくれるというならば、国や自治体、また天下り団体が所有するスポーツ施設などを無料で利用させてくれるぐらいのことをしてほしいものです。


 長寿を楽しめば病気が増えるのは仕方がない。でも、日本人という誇り高き民族は、足蹴にされてまで長生きをしようとはしない。でも、官僚は私たちを、本当に誇り高き日本国民と考えているのだろうか?

官僚や政治家を「国」の一部とするならば、国民の権利と国の義務についておろそかにしていると言わざるおえません。

1.すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

これは日本国憲法の第25条ですが、いまの日本はどうなっているでしょうか。他の貧しい国と比べてしまえば幸せといえるのでしょうが、だんだんと質的には落ちてきていると感じるのは私だけでしょうか。

 目の前にある好きなものを食べるかどうかは本人の自由だ。まして腹回りが何センチなどというのも他人が口を出す必要はない。私には、そんなことを規制したり、まして税金でコントロールするのは、明白な憲法違反だと考えるがどうも犠牲者がでないので訴訟になりにくい。

 仮に訴訟に持ち込んでも、裁判官は決して国には逆らわない。裁判官の出世は国が決めている。がんじがらめだ。

 それなら、メタボを支持した政党には投票したくない。そんな政党が政権を取ったら、今後も、あれはダメ、これはダメと言ってくるだろうから。せめて、メタボ規制をするなら、それを守って75歳に達した人は医療費を無料にするぐらいの総合的な政策のもとで日々の生活を過ごしたいものだ。

かって老人医療費は無料の時期がありました。1973年のことでした。

これは患者にとっては負担がなく喜ばしいものですが、それとは別に喜んだのは医療機関に違いありません。言い方は良くないですが、「タダだから、毎日のようにでも診察にくればいい」という思いがあったとしても不思議ではないでしょう。途中、高齢者の自己負担はだんだんと増えていくことにはなりますが、保険で賄わねばならない金額もうなぎ登りに増加していくことになりました。

現在、高齢者の医療費を無料にすることは不可能かもしれませんが、それでも負担を最低限に抑えることはできるはずです。高齢者が必要以上に医者にかかるということは実際にあるのですが、これは一概に患者側の問題ではなく、医療に携わる側の儲けを考えた場合、高齢者は重要なお得意さんで決して手放したくないという理由があるのです。高齢者が増加することを見越して、勤務医をやめて開業医になっていくという事実もあるのです。

 今回はメタボリック症候群という最近の話題を取り上げてみたが、私は前から日本政府が国民の寿命を本気で考えていないと思っていた。本来は、政府にとって最も大切なのは「国民の生命と財産」であり、「心の満足感」である。それを守るために政府というものがある。単に税金を取るためや、天下り団体を作るために政府があるわけではない。


 日本人の寿命は今から90年前は平均して43歳ぐらいだったが、幸いなことに今は80歳になった。それでも定年はおおよそ60歳であるし、それ以後の生活も年金が不安定だ。このこと全体についての考え方は成熟していない。

 私は科学者だから発言を控えていたが、昨年から「計算で片づくことは言いたい」という思いで、「働きたい人の定年をのばすだけで、年金の心配はない。少子化の問題も起こらない」ということを書いた。

日本政府が寿命を考えているのは、働き手である人たちの寿命を考えているのであって、リタイアした高齢者の寿命が伸びることを望んでいるわけではないというのが、口に出せない本音ではないでしょうか。
もしも寿命が伸びる新薬が開発されたと仮定した場合に、政府はどのような対応をするでしょうか。
高齢者のことを考えていたとすれば、60歳定年が一般化されている時代に、年金の支給開始年齢を65歳からなどとはしなかったはずです。高齢者の将来や生活を考えるなら、たとえ65歳からの支給開始を決めても、65歳定年を推進するように政策転換させたにちがいありません。

 長寿というのは物理的に命が長いだけでは幸福な人生を送ることはできない。社会全体が自分の長寿を喜んでくれることが大切だ。それには、一にも二にも「日本人は誇り高き国民だ」という意識が政府に求められる。

中部大学 武田邦彦 (平成20年6月17日 執筆)より引用
http://takedanet.com/2008/06/post_8044.html

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